世界遺産エリア
慈尊院(女人高野・結縁寺)
平成16年7月世界遺産に登録された慈尊院は、弘仁7年(816年)弘法大師(空海)が、高野山開創に際し、高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を草創し、一の庶務を司る政所、高野山への宿所、冬期の避寒修行の場所とされました。(当時の慈尊院は、今の場所より北側にあり、方6丁の広さがあったと伝えられていますが、天文9年(1540年)紀の川の大洪水にて流失しました。しかし、弥勒堂だけは天文6年(1474年)に今の場所に移してあったので、流失をまぬがれました。
「我が子が開いている山を一目見たい」弘法大師の御母公が香川県の善通寺より訪ねてこられました。しかし、当時の高野山は女人禁制でありましたので、弘法大師の元には行くことができず、この慈尊院で暮らしておられました。
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慈尊院境内
丹生官省符神社へ続く石段途中
慈尊院とその周辺の見どころ
多宝塔
県の指定文化財です。
本尊は大日如来が置かれているため、大日塔とも呼ばれています。弘法大師の創立。現在の塔は寛永年間(1624~1643)に再建されました。
弥勒堂
国の重要文化財に指定されています。
桧皮葺の低い建物で、中は方三間。平安時代末期の輪郭を残しています。
お母様が亡くなった後、弘法大師はお母様が篤く崇拝していらっしゃった弥勒菩薩座像と御母公像を安置するため、弥勒堂を建てられました。今も弘法大師のお母様の御利益をいただきたいと、多くの女性が訪れます。
土塀
県指定文化財です。
築地塀をいう。境内の周囲3方約250mにわたる。
下乗石
町の指定文化財です。
表門の外、左側に建っています。平安時代の法務権僧正定海により建立されました。それぞれの門に下乗札がかかっており、皇族・貴族はここで籠を降りられました。今は半分ほど土に埋まっているため、当時はもう少し高かったと考えられます。
五輪石塔二基
町の指定文化財です。
表門をくぐったすぐ左側にあります。承安元年(1171年)12月、慶幸俊厳の放火によりたくさんの経巻、道具類が焼失。その悲しみのうちに建てられました。
慈尊院にまつわるいわれ
女人の高野
女人高野のいわれがあるため、子授け、安産、育児、授乳、良縁などを願って乳房型、絵馬を奉納する女性が多く訪れます。
「九度山」の名の由来
弘法大師は月に九度(9回)、高野山からお母様に会いに来られました。そうしたことから、この地は九度山と名付けられたという説があります。
「慈尊院」の名の由来
慈尊院の本尊である弥勒菩薩は、別名「慈尊」といい、そこから慈尊院と呼ばれるようになりました。お母様の命日が2月5日であることから、毎月5日は弥勒縁日となっており、ご近所の方々がお参りになっています。ほかにも多くの仏様が祀られております。
- ポックリさん
長生きしても迷惑をかけずに極楽往生 - ビンズリさん
痛む箇所を手でさするとよくなる。ビンズリさんはお釈迦様の弟子で実在した人物 - 四国堂
弘法大師がご本尊で、四国八十八ヶ所のご本尊が脇に祀られる - 弁財天
知恵、学業成就 - 稲荷明神
財宝の成就 - みろく石
片手で撫でて、ご本尊と縁結びする - カルテンさん
子育ての成就
高野山町石道との関係
九度山町から高野山へと続く約21キロの道程で、今も一町(109m)ごとに卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般庶民が、現在に至る千余年の間、ふみかためてきた信仰の表参道です。
その入り口となる180町石がこの慈尊院にあります。
お問い合わせ
慈尊院(じそんいん)
〒648-0151
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832
電話 0736-54-2214
ホームページ http://jison-in.org/