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日本一の兵「幸村」

幸村の生涯

幸村はどんな時代を生きたのかな?幸村の生涯を追って行こう!

1567年(永禄10年)

信濃国上田城主の真田昌幸(父)、山手殿(母)の次男として生まれる。

幸村と戦乱の世で敵対することになる一つ年上の兄・信幸がいます。

1573年(天正元年)

武田信玄、死去(53歳)。信玄の四男勝頼が家督を継ぐ

1574年(天正2年)

長篠の合戦  武田勝頼が織田・徳川軍に破れる。

長篠の合戦で真田信綱・信輝の戦死したため、父・昌幸が家督を継ぐことになるんだ。

1582年(天正10年)

3月 勝頼自刃して武田家滅亡
4月 昌幸、織田信長に馬を贈る
6月 本能寺の変 信長、明智光秀に討たれる
7月 昌幸、北条氏に属する
8月 徳川家康と北条氏和睦
9月 昌幸、徳川家康に属する

1583年(天正11年)

上田城本丸完成、昌幸、岩櫃城より移る。

1585年(天正13年)

7月 昌幸、上杉景勝に属する
閏8月 幸村(19歳)人質として海津城(のちの松代城)に赴く

信幸は徳川方の人質になったんだ。

昌幸・幸村、上田城に襲来した徳川軍を鉄砲で応戦
幸村、景勝の春日山城から呼び戻され、豊臣秀吉の元に赴く
北条軍、真田氏の名胡桃城を奪取

1589年(天正17年)

幸村(23歳)は大谷吉継(豊臣方)の娘と結婚

信幸は本多忠勝(徳川方)の娘と結婚したんだ。

1590年(天正18年)

秀吉、北条氏に宣戦布告。真田父子は小田原に参陣。

1598年(慶長3年)

豊臣秀吉、死去(63歳)
家康の権力が強くなり、他の大名を圧倒する

1600年(慶長5年)

7月 犬伏の別れ

昌幸・幸村は西軍(石田方)、信幸は東軍(徳川方)に味方することになるんだ。

9月 関ヶ原の戦い
三万八千余の軍勢を率いた徳川秀忠が中山道を経て信州上田城を襲撃
昌幸・幸村は二千五百の寡勢で数日秀忠軍を釘付け、武名は天下に鳴り響く
戦いは東軍徳川方の圧勝に終わり、信幸、上田城に移り、信之と改名

12月 昌幸・幸村は信之の嘆願により高野山蓮華定院に蟄居

その後、九度山に移り住み、九度山での14年間の暮らしが始まります。

1602年(慶長7年)

幸村(36歳)の長男、大助生まれる。

1611年(慶長16年)

父・昌幸、九度山で没す(65歳)
火葬にされ、境内に宝篋院塔を建立

1614年(慶長19年)

九度山から大坂城へ

10月 大坂冬の陣
幸村・大助ら、九度山から大坂城入城
家康、諸大名に大坂出陣を命じる。
真田家からは信之の子信吉・信政が参陣

12月 幸村は天王寺口に「真田丸(砦)」を築いて防守、東軍これを攻めるも退去
大坂城外堀の埋め立てを条件に和議成立。

1615年(慶長20年)

4月 大坂夏の陣
家康、再び大坂城攻略を命じる
道明寺の戦いで、後藤又兵衛、薄田隼人正兼相ら大坂方の勇将が討死
幸村は殿軍を守り奮戦、茶臼山から家康の本陣に突撃し壮絶な最後を遂げる(49歳)
淀君と秀頼、炎上する大坂城で自刃、大助これに殉ずる

真田軍の勇敢な戦いぶりは「真田日本一の兵」と武名天下にとどろく

最終更新日:2017213

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